sampi in エジプト

アニメ評論ブログになりました

大槻唯にスターラブレイションを選曲することがなぜ正しいのか、Radio Happyの世界観について

デレマスにおけるカバー曲の重要性

※この節は本題に入る前に必要な前提認識の共有のための節なので飛ばしても大丈夫です

アイマスには、実在アーティストの楽曲をカバーしていく文化があるのですが、私はこれこそが非実在アイドルコンテンツ界における最も大きな発明だと思います。理由を説明しましょう。
まず歌詞や曲調がアイドルに合ってることは大前提として、実在アーティストによる曲は現実世界において「ヒットソング」「ドラマの主題歌」「有名アニメのOP」などといった位置づけ・受容が存在し、多くは実在アーティスト本人によるPVが公開されています。そのPVに非実在アイドルの姿を重ねたり、その曲の現実世界における受容と同等の受容がその非実在アイドルに為されている状況を想像することで、その非実在アイドルについての理解度が上がりますし、さらに恣意的に非実在アイドルの世界と現実世界の壁を破壊しようという意志のもとそれを行えば、まるでそのアイドルが本当に現実世界に存在し受容されているような錯覚を得ることで莫大な感情を得ることができます。
こういったことを、一部では「実在性が上がる」と称しているのですが、実在性を上げるためにとても効率的なので実在アーティストのカバーは素晴らしい発明だ、というわけです。

さて、その文化の始まりは本家MASTER ARTISTの頃で、現在は本家に加えデレマスでも為されているのですが、本家のカバーとデレマスのカバーを比較すると、デレマスのほうが「本気の選曲」といった印象を持ちます。

その要因はやはり、デレマスが183人という最多のアイドル人数を抱えるコンテンツであることに帰結するでしょう。
183人もいるので、いつ再びそのアイドルが歌う曲が出るかわからない。そもそも2回目のカバー曲が募集されるかすらわからない。なのでデビュー曲とカバー曲には数年間を耐えしのげるだけの強度が必要とされる。したがってデレマスPは本家の何倍も本気でそのアイドルにハマる曲を探して選び出し、ディレ1たちも本気で選ぶ、というわけです。

それだけ情熱を持って本気で選考されただけあって、デレマスのカバー曲の持つ力はとても強く、「合ってるな~」「ハマってるな~」を通り越して、「正しい」「最適」「選んだ人は天才、ありがとう」という感想を抱かされます。
これがこの記事のタイトルに「正しい」という語彙を使った理由です。


大槻唯のキャラ付け

デレマスというコンテンツの変遷として、初期は「厨二病」「ヤンデレ」「デカいしファッションと口調がすごい」などといったひたすらインパクトの大きいレッテル的キャラ付けで開始することで客を呼び寄せ、それからだんだん「厨二病的センスもアイドルになれば効果的な個性になる」「ヤンデレに見えて実際は視野狭窄に陥ってなどおらず、ちゃんとプロデューサーのためを考えた上でアイドルをする」「デカいせいで怖がられていたが思い切って自分を出してこのファッションと口調をしたら怖がられなくなったという過去があり、そのキャラがアイドルに活かせる」というような掘り下げを行うことでストーリー性を与える、といった大きな流れが今までありました。

大槻唯の初期のキャラ付けはというと、まず1つめは「ギャル」でしょう。これだけだと城ヶ崎美嘉と被るので、さらに「適当」「誰とでも仲良くなれるコミュ強」も加えます。
ここでギャルというキャラ付けについてひとつ。その昔、オタクコンテンツが完全に陰キャラの逃げ場だった時代において、ギャルという存在はオタクにとって完全に恐怖の対象でした。しかし2000年代も終わりの頃、この「オタクコンテンツ=陰キャラ」の等式は崩壊していきました。SNSや掲示板などで「ギャルは本当は(陰キャラにも)優しい」というようなエピソードが好まれだしたのもこの頃になります。
大槻唯・城ヶ崎美嘉は、この過渡期に作られたキャラです。実際その頃はまだギャルへの抵抗は大きく、城ヶ崎美嘉単体だと通らないだろうと考えたキャラデザの杏仁豆腐先生が城ヶ崎莉嘉と姉妹ペアにすることで通した、という話もあります。
そういう時期に作られただけあって、彼女らのキャラ付けには別々ながら「ギャルは本当は優しい」に近い方向性が見られます。
城ヶ崎美嘉は「実際は純情」、大槻唯は「誰とでも仲良くなれる」(≒「陰キャラにも優しい」)というキャラ付けがそれにあたります。
ちなみにデレアニ20話で(はっきり言うと陰キャラな)鷺沢文香から重要な台詞を引き出したのが大槻唯であることは、この「誰とでも仲良くなれる」「コミュ強」のキャラ付けが活かされた役回りになっています。


Radio Happyで決定された大槻唯というアイドルのテーマ性

城ヶ崎美嘉は元からカリスマギャルという設定だったので、アイドルとしてどうパフォーマンスするのか、すなわち外面的にはどういうキャラクターを持つのか、どう受容されるのか、というイメージについても自然にそれまでの延長で「カリスマJKギャルアイドル」ということになりました。
言ってみれば、デレアニは自分をいかに輝かせるかを見つけにいく物語なので、その主役であるシンデレラプロジェクトはまだどう輝けば良いかわからないアイドルたちで始める必要があったため、最初からアイドルとしてのイメージ(=輝き方)が確立されている城ヶ崎美嘉シンデレラプロジェクト初期メンバーに入るのは不適切であり、外側からシンデレラプロジェクトに輝きの片鱗を見せる役回りが適切なためそうなったと言えるでしょう。

しかしそのような明確なイメージを最初から持たされているキャラは少ないです。そもそもアイマス自体がアイドルとプロデューサーという舞台裏をメインに描写する作品であることもあり、曲が来るまでは数枚の特訓後カードくらいしかヒントがありません。
実際私も大槻唯についてどういう受容のされ方をイメージすれば良いのか想像できずにいたのですが…

ですが、そこで登場したのがRadio Happyです。
この曲に、すべては決定されました。

THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 041大槻唯

THE IDOLM@STER CINDERELLA MASTER 041大槻唯

Happy

まずこの曲は「君」に語りかける歌詞からなっており、おおまかに言うと、「君」を外の楽しい世界へと誘い出す内容です。
その中でも、

悲しいときには呼んで
オンエアいつでもOK
君が踊りだすトップ10
届けるよ
キラキラなブルーの涙は
あの虹の色に溶けていくよ

過去はいま笑い飛ばそうぜ

の部分に特に代表されますが、「暗い状態から救い出す」意味合いを強く保持しています。
もちろん元から明るい状態でも問題なく幸福へ誘い出してくれます。この積極性は「救い」と称するのが適切でしょう。
「明るい状態だろうが暗い状態だろうがかまわず救い出してくれる」ということ。
最初にあった「ギャルは本当は優しい」という言葉が極限まで強化させられ、何よりも優しい「救い」になったのです。

Radio

そしてこの曲がラジオをモチーフにしていることも同じく重要です。
この曲はラジオから流れてくるようなイコライザがかかったイントロで始まり、有線で流れていてほしい感じのリズミカルなサウンドを奏で、再びラジオっぽいイコライザがかかったアウトロで終わります。
この編曲の示すとおり、この曲が実際にラジオで全国に流れている状況を想像すれば、自ずとラジオをモチーフにした意味がわかります。
ラジオは誰もが聞けるもの。全国のすべての人にこの曲は届く。つまりこの「君」の対象とされているのは「すべての人間」。
「誰とでも仲良くなれる」の「誰とでも」が極限まで強化させられた結果「すべての人間にとって」となったのです。

Radio Happy

作詞のMC TCさんが「ギャルは本当は優しい」「誰とでも仲良くなれる」を極限まで強化した結果、「すべての人間にとって救いとなる曲」としてRadio Happyは誕生し、ひいては「すべての人間にとって救いとなるアイドル」としての大槻唯が決定されたわけです。

大好きな君に届けたいよ
大好きな君に届けたいよ!



大槻唯にスターラブレイションを選曲することがなぜ正しいのか

受容

スターラブレイションはケラケラのヒット曲で、「ラスト♡シンデレラ」という覇権ドラマ(「ガリレオ」に次いで2番目に視聴率が良かったので十分覇権)の主題歌として使われていました。
「すべての人間にとって救いとなるアイドル」である大槻唯はそれに相応しいだけの受容をされるべきです。その姿を重ねる対象として、覇権ドラマの主題歌を担当したヒット曲は十分相応しいでしょう。

歌詞

「ラスト♡シンデレラ」は主人公の39歳未婚女性(ヒゲが生える)が結婚する話、というとちょっとアレですが、エッセンスは暗い状態を打開し夢を叶える話であると言えます。
「ラスト♡シンデレラ」の主題歌としてスターラブレイションの歌詞を解釈すると、歌詞はすべて主人公視点であり、「君」は結ばれる相手を指し、サビは自分に言い聞かせる部分ということになるでしょう。情景として浮かぶのは結婚をゴールとする道ですね。

ではこれを大槻唯自体の曲として解釈した場合はどうなるか。
ありがたいことにスターラブレイションに直接的に「ゴール=結婚」を示唆する部分は無いので、結婚への道ではなくアイドルの道として解釈することが可能です。
すると

誤解される性格だから またココロが疲れるんだね
この先もそうやって 強がり言って
同じように生きてくの?

らへんは暗い状態にいる「君」への呼びかけとして解釈され、そんな「君」のためにステージに立つという大きな愛に満ちた歌になります。

雲一つ無い空に 両手いっぱいの愛が
真っ直ぐに君へと届けに行くよ
(どこまでも)

流石にRadio Happyと違ってラジオという巧妙なモチーフが存在したりはしないので構成としては劣りますが、代わりにRadio Happyでは全くそんな素振りのない「大槻唯自身が不安を感じることもある」ということを語り、「それでも心を固めてステージに立つ」という情景を想像させることができるのは優れている点です。

あとやっぱ歌詞に「シンデレラ」が含まれるのが本当に良いですね!!

曲調

楽しげなJ-POP!!!正解!!!

デレアニ17話の構造を図解してみた

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高解像度版:
http://sampi-apps.appspot.com/Storages/dereaniEp17Kouzou.png

これ何がすごいかって、この話のメインは美嘉・莉嘉・みりあなんですけど、始点となるファクターには彼女らの設定が余すことなく使われていて、かつ3人とも一旦落ち込んでから他者との対話によって答えを見つけ、今までより一歩成長した自分を手に入れるんですよね。
その他始点ファクターには、かな子・智絵里・きらり・杏の設定が全く適切かつ効果的に使われていて、それ以外にはアニデレ後半のキーである常務の登場だけなんですよね。
既存のデレマスの設定に常務を足しただけで、3つのストーリーラインが複雑に絡み合いながらしかし全く流れるように何段階もの化学反応が起こり、無駄なくメイン3人の成長が生成されているわけです。
有機合成化学ならさしずめ、工程はたった1ステップ、反応過程はとても多段階、にして収率100%の全合成、と喩えられるほどのエレガントさです。
見事としか言いようがありません。アニメ史でも屈指の美しい構造なのではないでしょうか。

Absolute NIneの"I"がなぜ大文字なのか、Project:Kroneが舞踏会でそれを歌った意味


11/28,29の THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 3rdLIVE シンデレラの舞踏会 - Power of Smile -、両日参加してきました。

ライブ感想

もう何度泣いたか覚えてませんね。入場前のお城(入場前にあるちょっとした見世物)でshine!!をBGMに参加アイドルが紹介されていくPVが流れているのを見た時や、入場後THE IDOLM@STER MUST SONGSのCMでアイ MUST GO!が聞こえた瞬間にもう泣いてしまうほどだったので。

特に僕はProject:Krone箱推し(箱P?)なわけで、当然2日目の後半始めのProject:Kroneタイムは最高にブチ上がりました。
休憩後、絶対に来ると思ってKroneメンバーのコンサートライト6本をバルログ持ちで待機していたら実際にステージが青く光り、飯田友子(速水奏)さんが「ここからは私達の番。Project:Kroneの全力、見せつけるわよ!」と一声。これはもうここからの数十分に全ての体力を捧げるしかないですね。
Kroneの6人+αが登場し聞き覚えのないインストが流れだす。もともとアニメでKroneの全体曲を期待していたのに来なかったのでちょっと新曲を期待しちゃいましたが、流石にそれは前例も無いことで、途中でAbsolute NIneのインストに繋がりました。
しかしこれは決して残念なことではなく、大好きなAbsolute NIneを大好きなProject:Kroneが歌ってくれるということだし、またこれはアニメのストーリーについて重要な意味を持つ(後述)ことに気づき、そこからはもう完全にブチ上がって何も覚えてません。
どうやら他の人によると画面に複数の演者の顔が同時に映る演出がとてもカッコ良かったとのことですが、もちろん冷静に画面を見つめていられた訳ないです。早くBD出してください。


Absolute NIne

さて本題に入りましょう。
AN、本当にかっこいい歌なんですよね。とりあえず歌詞を見てみましょう。
petitlyrics.com


イメージ『民衆を導く自由の女神

この曲を聞くとき、ウジェーヌ・ドラクロワ民衆を導く自由の女神』のイメージが脳裏に描かれます。
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これはこの曲の中で「自分を貫く」ことを「自分色の旗を掲げ進む」と表現していること:

自分だけの旗を掲げ進め 負けたくはない

自分色の旗を高く掲げ 掴み取るまで

に影響されているわけですが、それだけではなく歌詞に"自由"が入っていたり、歌詞に入っていないにしろ"革命"という言葉に似た強力なイメージも歌詞やビートの節々から感じます。

あとこの絵、民衆を率いてるのが女神で、後からついていったり下で死んでるのが全部男ということがまたいいですよね。アイマス初期から貫かれてきたテーマのひとつ「女性の強さ」を感じます。

男では耐えられない痛みでも
女なら耐えられます 強いから

THE IDOLM@STER

さしずめ女神はアイドルで後ろからついていってるのがファン(そのうち一番近いのがプロデューサー)、下で死んでるのがどっかの悪い社長やディレクターでしょうか。
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もしかしたら本当に作曲家・作詞家の方も『民衆を導く自由の女神』のイメージを持って作っていたのかもしれませんね。


テーマ「自分を貫く」

ということでわざわざ言うまでもないほどストレートに表現されていることですが、この曲のテーマは「自分を貫く」です。それをテーマの一部に持つ曲は今までにも何曲かありましたが、これはその中でもずば抜けて強く自分を貫こうとしています。

特にここ見てください。

迷路みたい 行き止まりでも
踏み荒らせ 好きな方へ 地図を作ろう

「踏み荒らせ」という言葉の力強さ。もう微塵も自分以外の迷惑なんて省みる気ないですよこの人たち。ここまで強い表現は他のアイマス曲で見たことありません。


"Absolute"

他にもサビがすごくて、

孤独が滲み始め 足が震えていても
遠い日の約束
叶えなきゃ 掴まなきゃ 絶対!

自由が歪み始め 歌の中舞い上がる
未来に響かせて
勝ち取るの この歌で 絶対!

孤独が疼きだして 体を蝕んでも
前を見る強さを
一歩ずつ 確実に 絶対!

言葉が歪み始め イメージが加速する
世界に響かせて
勝ち取るの この歌で 絶対!

というように、周辺の環境が変わってきて自分を襲っても、それでも決して自分を曲げないと言っています。他者の動向を受けて遠慮し相対的に動くなんてしないんです。この絶対性が"Absolute"の意味です。


"NIne"

で"NIne"はというともちろんnineはこの歌っているユニットの人数ですが、なぜ"I"は大文字なのか、という話ですね。
ここまで「自分を曲げない(自分色の旗を掲げ進む)」と言い続けてきたのでもうわかると思いますが、それは"自分"の"I"だからでしょう。
絶対的なストレートさで貫く自分、それが"Absolute NIne"なのです。

「最初だけでなく2番めの文字まで勢い余って大文字になってしまうその積極的な勢い強さを表現している」というのもあると思いますし、「Iはアルファベットの9番目」なども考えられますが。


15話~19話、自分を貫いたアイドルたち

「自分を曲げない」といえばこれを思い出しますよね。

16話、前川みく & 安部菜々

「みくは自分を曲げないよ!」
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「そういうとこ、ロックで嫌いじゃないよ」
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常務に色物キャラを捨てるよう迫られたアイドルたちがレジスタンスとなり武内傘下に入る話でした。
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それだけではなく、

15話、new generations & 高垣楓

高垣楓がファンとのイベントか大きな仕事かの選択を迫られファンを優先する
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17話、赤城みりあ & 城ヶ崎莉嘉 & 城ヶ崎美嘉

城ヶ崎美嘉が大人系へ路線転換させられながらもギャル系のポーズで新境地へ
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19話、多田李衣菜 & 木村夏樹 回

木村夏樹が常務に従うままの活動をすることを拒みAsteriskと組むことを決定する
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これら全て、「自分を貫く」行動です。


このうち高垣楓前川みく城ヶ崎美嘉は、Absolute NIneのユニットのメンバーでもあります。
Absolute NIneは、こういったメンバーにも合った歌だったということですね。
15話~19話の展開とAbsolute NIneは、高垣楓前川みく城ヶ崎美嘉を中心に、お互いの「自分を貫く」という意味を強化していきました。


二元論

ここまで、「常務の意向を跳ね除けて自分のスタイルを貫く」という話を繰り返していました。
確かにここまでなら、「敵=常務」「味方=武内P=アイドル=自分を貫くこと」という二元論が成立してもおかしくありません。
さらに一部の視聴者は「自分を貫くこと=既存姿勢を変えないこと」とまで考え、「敵=常務」「味方=武内P=アイドル=自分を貫くこと=既存姿勢を変えないこと」という二元論を生み出し、それに固執するようになっていたようです。
(そこから抜け出せなかった人がよく「Triad Primusを悪役にしやがって」などと言ってますね。)


15~19話、新たな自分に出会えたアイドルたちと常務の功績

しかし、実は15~19話は、「自分を貫く」姿を見せるだけの話ではなく、「新しい自分のスタイルを得る」=「新たな自分に会いに行く」話でもあったのです。しかも、後の方の話に行くにつれ、そのうち常務の功績といえる割合が高まっていきます。

15話、new generations & 高垣楓

これについては常務がいてもいなくても高垣楓は同じことをしただけであり、誰も新たな自分のスタイルを得ていません。常務の功績は0%。

16話、前川みく & 安部菜々

一度ウサミミを封印されたりネコミミを封印されかけたことで、むしろそのキャラを貫くことや思い入れを再確認でき、また武内P傘下に浜口あやめや脇山珠美などが入ったことにより舞踏会への布石となりました。とはいえ、スタイルが変わったわけではないので、まだ常務の功績は1%ほど。

17話、赤城みりあ & 城ヶ崎莉嘉 & 城ヶ崎美嘉

ここから話が変わっていきます。
今までギャル系ファッション一筋で来た城ヶ崎美嘉
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常務に大人系ファッションを強制され
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しかしその中で自分を貫くためにポーズをギャル系にすることを試み、それが評判になった
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という話でした。
1枚目も2枚目も良いですが、やっぱり3枚目が美しいです。常務に強制された大人系のファッションと、自分のアイデンティティであるギャル系の止揚として、この新たなスタイルを得たわけです。常務無しではこの新境地には辿りつけませんでした。常務の功績はちょうど半分ということで50%と評価しましょう。

18話、あんきら & 緒方智絵里 & 三村かな子 & 輿水幸子

自信家の輿水幸子の言葉により、緒方智絵里は周りの人を見ないようにするカエルさんのおまじないを卒業し、
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周りの人をも幸せにするクローバーのおまじないを使うようになって、
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また三村かな子はダイエットをやめました。

ところでM@GIC☆の

転んだ時そっと呟く 痛み止めの呪文があるの
明日はもっと輝いてゆく それは
自分励ますエールに変わる

M@GIC☆

の部分、これ普通は「かけてもらった痛み止めの呪文がエールになる」と解釈するんですけど、「ただの痛み止めの呪文(=カエルさんのおまじない)しか使っていなかったけれど、これからはエール(=クローバーのおまじない)を使っていく」と解釈するとそのまま緒方智絵里の成長が歌われていることになるんですよね。
しかもその「変わる」の部分がこの神作画緒方智絵里なんですよね。
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こんなの智絵里Pじゃなくてもボロ泣きするしかないでしょ……

それだけ大きな成長が描かれた回でしたが、ただ今回は常務は直接関与していないので功績は評価しません。

19話、多田李衣菜 & 木村夏樹 回

常務にユニットへ誘われた木村夏樹が迷っている時、ロックに惹かれ始めたばかりの多田李衣菜と出会ったことでロックの意味や自分の初期衝動を思い出し、常務の誘いを断りAsteriskと組むことを決断する回。
初期衝動を思い出した時の言葉「だりーと話してっと、なんかほっとするな」
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常務の揺さぶりによる安部菜々前川みくの出会い、常務の揺さぶりにおける木村夏樹と多田李衣菜との出会い、それらが合わさり、Asterisk with なつななという新しいユニットができたわけです。
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これも常務の功績40%くらいはあるでしょう。


もちろん忘れてはいけないのが武内Pの功績です。彼が真っ先に常務に対抗する姿勢を見せたことで、自分のキャラを守ってくれる居場所ができ、思い通りのユニットを組める場所ができたのですから。

つまり実はこの時点で既に、「常務と武内Pの対立の止揚としてアイドルたちが新たな自分に会いに行く」というストーリーになっていたのです。


20~22話、二元論の崩壊

とはいえまだ、「敵=常務」「味方=武内P=アイドル=自分を貫くこと」という二元論が成立していてもおかしくない範疇です。
むしろ恣意的にそう見えるように作られていると思われます。
しかしその二元論的解釈は、20話~22話で崩壊します。
常務側の切り札、Project:Kroneが登場し、そこにはAbsolute NIneのセンターである塩見周子を筆頭とする8人のアイドルがいて、さらに渋谷凛とアナスタシアもそこに入る決断をするのです。
二元論的に見えるよう作られていたからこそ、Project:Kroneの登場は「強大な敵の登場」(実際は敵ではなくライバル)というインパクトのある印象を持ちました。


20~22話、常務のもとという場所で新たな自分に出会えたアイドルたち

常務が渋谷凛とアナスタシアをProject:Kroneへ勧誘。武内Pは、はじめそれを拒否しようとします。
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しかし、その後Kroneのメンバーである鷺沢文香に新たな自分に会いに行くことの素晴らしさを語られ、
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その言葉が12話の合宿の夜での新田美波の言葉と重なって、
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さらに神崎蘭子も「挑戦するのは楽しいから!」と語り、
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それらを受けて、はっとしたアナスタシアは、
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新たな自分に会いに行くことを決心しました。
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武内Pもそれが笑顔に繋がるならと全力でサポートすると宣言します。
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LOVE LAIKAは「離れても必ずまたこの二人になる」という強固なレズ信頼があるのでわりと簡単に(しかも相談無しで)踏み出せましたが、
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new generationsはまだこの二人の域まで達していないので、渋谷凛は躊躇し、本田未央と島村卯月は大きく動揺します。
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そして本田未央はまたもや逃げ出してしまいます。
しかし今回は6話とは違います。
7話で成長した武内Pはそれを追いかけ、
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ちゃんと対話をするのです。
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その結果、本田未央がソロ活動を始めると宣言したので驚きますが、
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しかしこれは躊躇している渋谷凛の背中を後押しするためだったのです。
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これはとても効いて、渋谷凛はTriad Primusへの加入を決めました。
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こうして、7話で成長した本田未央と武内Pのおかげで、Triad Primusは最高のデビューを果たせたのです!
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なぜ二元論に見せかけたのか

このようにデレアニは、15〜19話で二元論的解釈に見せかけ20〜22話でそれを壊す、という構成になっています。ではなぜあえて視聴者に二元論的解釈をさせたのでしょう?
それは先ほど述べたようにインパクトを強めるためであり、カタルシスを強めるためであり、アニマスと差別化するためであり、シンデレラガールズのテーマを表現するためです。

まずカタルシスはというと、武内Pに感情移入するような標準的な視聴者にこういった感情の流れを持たせるためということです:

  1. 「敵=常務」「味方=武内P=アイドル」の二元論を信じている
  2. Project:Kroneの登場
  3. 「常務=アイドル」が追加され何が正しいのかわからなくなる
  4. 22話で両側のアイドルたちがプロジェクトの垣根を超えてライブを成功させる
  5. アイドルに敵味方の二元論を持ち込んだのが間違っていたのだ、常務と自分(武内P)のプロデュース方法が違っていただけなのだと気づく
  6. さらにそれを教えてくれたのはアイドル自身なので、ここで初めてアイドルが自分より大きな存在に感じられ、まるで乳飲み子の時から育ててきた子供に身長を抜かされていたことに気づいた時のようなカタルシスを感じる

次にアニマスについて、そのストーリーでは765プロvs961プロという明確な対立があり、これは黒井社長を倒すことで決着しました。21話(小鳥回)で黒井社長と高木社長が酒飲むシーンで多少のフォローがなされていましたが、しかし「黒井社長=悪」の図式は全く揺るぎませんでした。
これと差別化するために二元論ではないストーリー構成にして、さらにそれを強調するためにあえて二元論に見せかけてから壊すという方法をとったのです。

また、アニマス10話(運動会回)で登場した新幹少女は、あからさまにやよいを傷つける言葉を吐くなど、完全に敵役として振舞っていました。
しかしデレアニにはこういった敵役のアイドルが一切登場しませんでした。そもそも「敵」といえる存在が全く登場しませんでした。みんな仲間でみんなライバルでした(ライバルとの自覚をしていると明言していたのは前川みくくらいですが)。
そしてこの事実こそが「誰もがシンデレラ」というデレマス自体のテーマを表現しています。敵のアイドルなんていない、誰だって素晴らしい存在なのだということをです。
「敵」が全く登場しないこと、これは一度二元論に見せかけ、敵役っぽさを全て常務に押し付け、しかしその上で常務は敵ではないと示したからこそ際立ち気づきやすくなることです。

そこまで深い意図を持って組まれた構成だからこそ、Project:KroneとCinderella Projectの思いが止揚に達した瞬間は、デレアニ22話は、アイドルマスターシンデレラガールズは、素晴らしいのです。


22話でProject:Kroneの歌った全体曲がAbsolute NIneだったとしたら

さてそれだけ全体の構成を使って溜めたカタルシスを爆発させた22話でしたが、1つだけ残念だったことがありました。
それは待ち望まれたKroneの全体曲がついに来なかったということです。
しかしそれが11月29日の現実のライブでなされたのです。
その曲はAbsolute NIne。既存曲のカバーとはいえProject:Kroneの強さ・かっこよさを最大限に引き出す曲でした。


そして私たちは考えます。
Absolute NIneこそが22話でProject:Kroneが披露した全体曲だったのだと。
Project:Kroneが新たな自分を求めて貫き歩いてきてたどり着いた場所がこのステージである、と歌ったのだと。
自分を貫いてきたCinderella Projectのアイドルたちと、自分を貫いてきたProject:Kroneのアイドルたちが、新たな自分を求めた結果、常務と武内Pの対立を乗り越え、それどころかその止揚として、このステージに上がっているのだと。
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そうなるともう、溜めてきたカタルシスを残す暇なんて全くなくなります。
誰もがシンデレラであるこの世界への感謝、私たちのちっぽけな対立など超えて行くアイドルたちの偉大さ、素晴らしさ、祝福、全ての感情が爆発し、幕張メッセを包んだのです!


…そんな、素晴らしいライブだったのです。


そのアイドルの素晴らしさについて、最終話の25話で、常務と武内Pはこう会話しています。
「我々は平行線のままだ。彼女たちは、我々の平行線すら越えていくのか?」
「はい」
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